少し前にYouTubeの動画で、
2ちゃんねる創設者のひろゆき氏が乙武洋匡氏の容姿について
ゴリゴリいじっていたのを観て、
「なんて不謹慎な奴だ」と思ったことがあった。
ただ、よくよく考えてみると、
内容が「モテるモテない」とか「あの容姿で不倫できるなんて」みたいなことだったので、
「これって、人を偏見なくフラットに見てるからこそできる発言なのでは?」と
思うようになった。
東京五輪の際に、一ノ瀬メイ選手や、乙武氏が言っていたように、
そもそもオリ/パラを分けている時点でおかしいのでは?
健常者/障がい者という括りで物事を考えれば2つにしか分かれないが、
今回のようにジェンダーの選手が出たときはどうする?
オリンピックの中にいろいろな部門を設ければよいのではないか?
健常者が多数というだけでそれを“普通”とし、
“正義”とするから、少数派が“弱い存在”のような見え方になる。
ボク自身、現在の医学では根治は難しい「一型糖尿病」を抱えた基礎疾患者だ。
健常者に見えても、1日4回のインスリン注射を怠れば「死」はすぐ側にある。
だからと言って、病人扱いして欲しいだなんて微塵も思わない。
そして、ボクの周りにいる人の中で、ボクのことを病人だと思っている人は
家族以外ではほぼ皆無であろう。
要は、障害って本人ではなく、周りの環境がつくるものなのかもしれない。
そういう観点で、是非この動画を観て欲しい。
顔も口も性格も悪そうな千原せいじ氏が、
誰よりもフラットに物事を見れる人かがわかる。
ハンデキャップとは、一つの個性だ。
本当の優しさとは何か?
その優しさはダレ視点での優しさか?
子どもを持つ親として、
しっかりとそこが教えてあげられるようにならねばだな。